越後三谷 Echigo Sanya

越後三谷 Echigo Sanya地無し延べ管尺八/2尺9寸堀田侍川→斎川梅翁→岡本竹外師より相伝越後明暗寺最後の住職となった堀田侍川。その流れには、相馬藩の喜染軒出身の神保政(正)之輔(助)がいる。明治22年小樽市で会合し、有名な神保三谷を合作した。尺八の名手で、一時、越後明暗寺に住したことがあり、門弟数千ともいわれていたが、堀田侍川とは不和となり、越後の各地を転々とし、晩年は福島地方にいたという。因みに、この曲は別名、奥州薩字、奥州三谷等ともいわれ、主に西の方では神保三谷として伝わり、近代では産安と、広く伝わる。

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