鈴慕 reibo = 霊慕 ryobo

鈴慕reibo=霊慕ryobo2尺9寸の地無し延べ管尺八jinashi nobekan shakuhachi2.9(下は比較comparisonのため、一般generalの1尺8寸地有り中継管尺八)古典三曲koten sankyokuを三虚”鈴”sankyo”rei”もしくは三虚”霊”と称される。この鈴慕もしくは霊慕ともいわれる「鈴suzu」は古くは「鐸taku」であり、銅鐸doutakuや鉄鐸があり、また鉄鐸はサナギsanagiともいわれる。古代語ancient languageではサナギは魂soulを振るための呪力spellをもった楽器instrument、霊的spiritualな力をもった楽器。いわゆる「鈴」と「霊」は同義語synonymである。尺八も江戸時代the edo periodには「虚鐸kyotaku」が普化尺八fuke shakuhachiの異名nicknameとされた。(1795・寛政7年に著された「虚鐸伝記国字解」kyotakudenkikokujikai)一管の竹bambooを”認識congnition”の「器うつわcontainer」ととらえ、”吹く行為suizen act”を“認識の至上supreme”の「方法way」とされる古典尺八jinashi nobekan shakuhachiは、仏教buddhismでいうところの「法(真理)truth」を表現expressionする道具instrumentに竹を使うことから、法竹Hocchiku or Hotchiku とも称される。

奥田敦也 / 虚空

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長谷川等伯の松林図屏風

長谷川等伯の松林図屏風(国宝)は巨大な松樹と空間それは靄に隠れて拡がる松林ないし空白…..屏風に近づくと松樹は驚くほど荒々しく激しい筆致によって描かれているがしかしその激しさは離れて見ると静かな画趣をつくりだしている法竹(Hotchiku)は竹に音孔を開けただけの、つまりは竹林の折れた竹が風に当たりてなる雑音から清音を味わう根源的な一音一つの音が鳴ったということで周りに静寂ないし…沈黙無音を醸し出すような働きがある 空白をいかすためにある松林があるように….つまりは音の根本性もしくは永遠性は無音にあるのではないか無音が有音と化し、有音が無音に還えるこの音に対する概念この松林図から学ぶことは多い